ちに、焼け野につ

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ちに、焼け野につ

トール・ローザの風景画か、怪奇小説に付されるような禁断の木版画に、あまりにもよく似ていた。
 しかしこうしたもので身體脂肪さえ、焼け野ほどひどくはなかった。広びろとした谷でたまたま焼け野に行きあたったとたん、わたしはすぐにそれと知った。それ以外にふさわしい名称がないというか、その名にこれほどふさわしい場所はないと思えるほどのものだったからだ。さながらこれを見た詩人が名づけたかのようだった。焼け野を見ながら思ったことだが、火災の結果こうなったにちがいない。しかし空をさえぎるものなく、五エーカーにわたって広がるこの荒涼とした灰色の地が、木々や野原が酸におかされてできた大きな染みのように、何一つ新しく育つものがないのはどうしてなのだろうか。大部分は旧道の北に位置しているが、南側にもすこしくいこんでいる。わたしは近づくのに妙な気おくれを感じ、ようやく足を進めたのも、仕事をはたす義務感にうながされてのことにすぎなかった。この広い場所には植物が何一つとしてなく、ただ灰色の塵《ちり》というか灰があるばかりで、それも風に吹き飛ばされることがないように思えた客製化
。焼け野の近くに立っている木々は病的に生育が阻害されていて、焼け野の縁では、枯れた木の幹が数多く、立ったままか倒れこんで朽ちはてていた。わたしは急ぎ足で進みながら、右手に古い煙突の煉瓦や地下室の石を目にしたが、もう誰もつかう者のいない井戸が黒ぐろとした口を開け、そこから昇るすえた蒸気が太陽の光を妙に揺らめかせていた。これにくらべれば、その向こうの、木々が陰をおとす暗く長い登り道さえ、まだありがたいと思えるほどで、アーカムの人びとが恐ろしげに声を潜めて話すことを、わたしはもう不思議にも思わなかった。近くには住居も廃屋《はいおく》もなかった。遠い昔でさえここはわびしく孤立した場所だったにちがいない。そして黄昏《たそがれ》が迫るころ、わたしはこの不気味な場所をまた通ることを恐れて、南にくだる道をたどり、遠まわりをして街にもどった。頭上の抜けるような青い空に対して、妙な怖気《おぞけ》が心にしのびこんでいたので、雲でも群がってくれればいいのにと、そんなことをぼんやり思ったものだ。
 その日の夕方、わたしはアーカムの老人たいてのことや、何度となく曖昧に口にされる、「不思議の日々」とはどういうことなのかとたずねてみた。しかしはっきりした答は得られず、謎のすべてが思っていたよりも最近におこったことがわかっただけだった。古い伝説に属するものではなく、口にする者たちが生まれてからおこったことだったのだ。八〇年代に発生して、ある一家が姿を消したとも殺されたともいわれている。どちらなのかは話す者によってまちまちだった。そして誰もが、アミ・ピアースの突拍子もない話には耳をかすなと口をそろえていったので、翌朝わたしは、木々の密生しはじめる場所に建つ、崩れかけた古い農家にひとりきりで住んでいるという、アミを探しに出かけた。何とも古ぼけた薄気味悪い住居で、あまりにも長いあいだ建っている家にこびりつく、あのどことなく不快な臭《におい》を放ちはじめる段階にあった。執拗にノックを繰返してようやく、老人は目を覚ましてくれたが、足をひきずってドアに近づいてくる様子には、訪問客を歓迎しない気持が感じとれた。わたしが予想していたほど体も弱ってはいなかったが、妙に伏し目がちで、だらしない恰好をして、白い顎鬚をたくわえていることもあって、やつれきった陰気な人物のように思えた。話をしてもらうのにどうもっていけばいいのかわからなかったので、仕事を口実にして、調査していることを話し、このあたりについて漠然とした質問をした。最初うけた印象よりも、アミは聡明で教養もあり、わたしがアーカムで話した誰よりも要点をしっかりとらえていた。貯水池が予定されている近辺の農民たちと、アミはまるっきりちがっていた。古くからある林や農地が何マイルにもわたって消えてしまうことにも、抗議をしなかったが、湖になることが予定される地域内に住居があったなら、おそらく抗議をしていただろう。いずれにせよ、アミがわたしに見せたのは、安堵《あんど》の気持だけだった。これまでずっと歩きまわっていた太古からの暗い谷の運命に対し、アミが示した気持は安堵だった。いまでは――いや不思議の日々から――水底に沈んでいるほうがいいのだ。アミはこういうと、かすれた声を低くして、体をまえに乗りだし、震える右手の人差指をいかめしくつきだしながら、話しはじめた。

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