る祝賀の言葉も

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る祝賀の言葉も


何といっても一番困るのは、行きあう人々がみなかれにお辞儀することだった。ガリオンにはまったくどうしていいかわからなかった。自分もお辞儀をかえした方がいいのだろうか。それともわかったというしるしにうなずいてみせればいいのか。さもなければまったくそ知らぬふりをしていた方がいいのだろうか。だが相手に〝陛下?といわれたときにはどうすればいいのだろう。
 昨日のできごとはまだ混沌とした記憶のかなたにかすんでいた。かれは〈要塞〉の胸壁から群衆の歓呼にこたえた。この期に及んでもほとんど重さを感じさせない巨大な剣は、あいかわらずかれの手のなかで燃え続けていた。たしかにそれは途方もないことには違いなかったが、そういった表面的なことがらは、日常的な生活面での大変化に比べれば問題にならなかった。リヴァ王の帰還の瞬間に向けて膨大な力を一気に集中しなければならなかったため、はじめて自分の正体を知った目くるめくような体験のなかで見聞したできごとが、いまだにガリオンの頭をすっかりぼうっとさせていたのだ。
 次から次へと届けられ、戴冠式に備えてのもろもろの用意も、かれの頭のなかでぼうっとかすんでいた。間違いなくかれ自身の生活だというのに、一日のできごとを筋道たてて論理的に説明することすらできなかった。
 そして今日は恐らく昨日よりもひどい一日になりそうな気配だった。かれはほとんど眠れなかったのだ。かれが昨晩案内された宮廷の巨大なベッドはひどく寝心地が悪かった。四隅からがっしりした四本の柱がそびえたつ天蓋つきのそれは、紫色のビロードのカーテンが引かれ、あまりにも広く柔らかすぎた。というのもここ一年あまり、かれはほとんど地面に野宿する生活を送ってきたので、羽根ぶとんのマットレスの敷かれた王のベッドはあまりにふわふわしすぎていたのである。それにベッドから一歩でようものなら、人々の関心の的になってしまうことはわかりきっていた。
 どうやらこのままベッドの中にいた方が楽そうだ、とガリオンはひとりごちた。考えれば考えるほどそれは最善の方策のように思えた。だがかれの寝室には鍵がかけられていなかった。日の出からまもなくしてぱっとドアが開き、誰かが入ってくる音がした。けげんに思ったガリオンは、ベッドを囲む紫色のカーテンごしにこっそり外をうかがった。いかめしい顔つきをした召使いが忙しげに窓のカーテンを引き、暖炉に火を起こしていた。だがガリオンの関心はすぐにその上に置かれた蓋つきの銀製の盆の上にうつった。かれの鼻はソーセージと焼きたての暖かいパン、そして盆のなかからぷんぷん芳香を漂わせるバターなどの匂いをすばやく嗅ぎとった。とたんにかれの胃が猛然と自己主張を始めた。
 召使いは準備万端ととのったことを確認するかのようにあたりを見まわすと、今度はしかつめらしくベッドに近づいてきた。ガリオンは慌てて上掛けの中にもぐりこんだ。
「陛下、朝食の用意が整いました」召使いはおごそかな声で言うと、四方のカーテンを次々に引いて柱にくくりつけ始めた。
 ガリオンはため息をついた。ここではベッドに入ってることすら意のままにならないのだ。
「わかった、ありがとう」ガリオンは答えた。

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